HISTORY OF RYUKYU GLASS
琉球ガラスの物語
琉球ガラスには、沖縄の豊かな自然と人々の暮らし、そして歴史的な出来事が複雑に絡み合って生まれた 物語のような歴史があります。
琉球ガラスの歴史は、琉球ガラスとは何かを語る上で切っても切れません。
そこで、その歴史を 簡単な物語風にして皆様にお伝えしようと思います。
昔々、琉球の地に王朝が栄えておりました。14〜15世紀のことです。
王朝は中国や東南アジアとの交易を盛んに行い、美しいガラス製品を手に入れました。宮廷では、このガラス製品が宝物のように扱われたのです。
時は流れ、17世紀になると、中国からガラス職人がやってきました。
彼らは王朝に仕え、宮廷用のガラス製品を作り始めました。
こうして、ガラス製造の技術が琉球の地に根付いていったのです。
18世紀、琉球は薩摩藩の支配下に置かれます。
ガラス職人たちは、薩摩藩への献上品として、より精巧なガラス製品作りに励みました。
時が経つにつれ、琉球ガラスは日用品としても広く使われるようになり、ランプの火屋や薬瓶、駄菓子瓶など、人々の暮らしに欠かせないものとなりました。
20世紀に入り、第二次世界大戦が勃発します。
戦火は、多くのガラス工房を破壊しました。
琉球ガラスの灯は、消えていくかに見えました。
しかし、ガラス職人たちは諦めませんでした。
焼け野原と化した街から、わずかに残された材料を集め始めます。 が、ガラスの原料となるものはほとんど残っていません。 そこで、職人たちが目をつけたのが、米軍基地から廃棄されるコーラやビールの空き瓶でした。
「もしかしたら、これを使えば、もう一度ガラスを作れるかもしれない…」
職人たちは、藁にもすがる思いで空き瓶を丁寧に洗い、砕き、溶かしました。そして、その溶けたガラスに息を吹き込み、新たな形を与えたのです。
こうして生まれたのが、再生ガラスを使った琉球ガラスです。
緑や茶色など、独特の色合いと、厚みや気泡が特徴の、温かみのあるガラス。
人の手で作られたからこその柔らかなフォルム、ガラスの中に閉じ込められた無数の気泡、そして青や緑など、沖縄の海を思わせる色彩豊かな色合い。
これらは、戦後の物資不足という厳しい状況から生まれた、琉球ガラスならではの個性となりました。
当初、再生ガラスは「欠陥品」とみなされていました。
しかし、沖縄に駐留していたアメリカの人々は、その素朴な美しさに魅了され、お土産として買い求めるようになったのです。
また、米軍関係者が工房に足を運ぶようになり、琉球ガラスの評判は口コミで広がっていきました。
沖縄の人々にとって、それはまさに希望の光でした。
1972年、沖縄は日本に復帰。
すると、琉球ガラスの主な顧客層は、米軍関係者から日本人観光客へと変化していきます。
1975年には沖縄海洋博覧会が開催され、沖縄観光ブームが到来しました。
琉球ガラスは、沖縄土産の定番として全国に広まり、多くの人々に愛されるようになりました。
現代の琉球ガラスは、伝統的な技法を大切に守りながらも、時代の変化に合わせて新しいデザインや技術を取り入れ、進化を続けています。
沖縄の歴史と文化を映し出しながら、時代とともに変化し、受け継がれてきた琉球ガラス。
その美しさと強さは、これからも多くの人々の心を捉えていくことでしょう。
琉球ガラスの物語は、ひとまず以上となります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
琉球ガラスを知ることは、単純に知識を増やすだけでなく、心を豊かにし、生活を彩る新たな発見をもたらすきっかけになると信じて、私たちは日々発信していきます。